登った山
城山(189m)
日程
2009年5月6日(水)
行程
斐太歴史の里 駐車場(11:40)→斐太県民休養地管理棟(11:47)→景虎清水(11:55)→城山・鮫ヶ尾城址(12:04/12:10)→斐太県民休養地管理棟(12:26/12:33)→斐太歴史の里 駐車場(12:37)
行動時間:57分(休憩時間含む)
登山記録
春日山城→林泉寺→高田城と史跡を巡り一般道を使って長野方面に戻ろうとしたところ、鮫ヶ尾城の方向を示す看板が目に止まる。あと1城位であれば見学も可能であるため、折角なので上杉景虎自刃の地として知られる鮫ヶ尾城址がある城山を登る事にした。
11:40 斐太歴史の里 駐車場
鮫ヶ尾城の方向を示す看板通りに車を走らせ、辿り着いた先は斐太歴史の里の駐車場であった。駐車場へと続く道路沿いには、春日山城の道路沿いよりも多いかと思われるノボリが沢山設置されており、鮫ヶ尾城が春日山城の支城である事を考えると、やり過ぎ感たっぷりだった。
11:47 斐太県民休養地管理棟
駐車場から丸太で作られた階段を登っていくと、芝生の広場が広がり、沢山の子供とバーベキューを楽しむ家族連れが楽しそうにGWを満喫していた。芝生の広場を道なりにいくと斐太県民休養地管理棟到着。管理棟の右側の道を進んで城山に向かう。
管理棟の右側の道を進んでいく。
11:49
管理棟から林道に入ると公園で遊ぶ子供達の声も聞こえなくなり、静かな林道歩きとなる。淡水魚の池を示す標識を過ぎ、途中で高速道路のトンネルの真下をくぐって登っていく。
11:55 景虎清水
林道を口笛を吹きながら登っていくと「景虎清水」を示す標識があり、寄り道。標識を左に曲がるとすぐに景虎清水であるが、とても飲む気にはならないような状況だった。ただし、水をすくうお玉と湯飲み茶碗が置いてある位なので景虎マニアは喜んで飲むのかもしれない。
11:58
再び標識の地点に戻ると、小学生が走って本丸に向かっていった。最近は山に登る子供も少ないので、何だか子供同士だけで山に登っているシーンを見て少し安心した。「もっと子供達が山に登ればよいのに」と常々思っているが、山よりも楽しいものがありふれていて山に興味が沸かないのかもしれない。西の丸・米蔵と本丸を示す標識が現れると山頂は近い。
12:04 城山(鮫ヶ尾城址)
登山口からあっという間に鮫ヶ尾城址がある城山に到着。山頂からは上越市街のパノラマが広がり、期待していたよりも展望が良くてびっくり。山頂からは午前中に登った春日山城跡方面も見え、ここで自刃した上杉景虎は歯がゆい思いでここから春日山城を眺めていたのだろうか。山頂には先客で夫婦が1組おり、日当たりの良い山頂でワラビを採取していた。中々居心地の良い山頂なので、グランドシートを持ってきてここで横になっておにぎりでも食べれば良かったと思うが、ザックには水しか入っていない。仕方がないのでパノラマ写真を撮影してすぐに下山に取り掛かる事となった。
城山(鮫ヶ尾城址)のパノラマ写真を見る
12:26 斐太県民休養地管理棟
本丸から二の丸・米蔵を通り、林道をただただ下っていくと、再び管理棟。管理棟内には上杉謙信亡き後の跡目争いの「御館の乱」の資料が壁に掲載されており、中々興味深かった。ちなみにここで知ったのだが、「炎の蜃気楼(ミラージュ)」という小説があり、主人公が上杉景虎の生まれ変わり?のような感じの作品らしく、ファンの女性を中心に鮫ヶ尾城址は聖地となっており人気があるようだ。今日はその手の方々は一人もいなかったが、山頂に立っていた鮫ヶ尾城址の石碑の下に花束が置かれてあったので、あれはファンの方が供えたのかもしれない。
景虎が美少年じゃなかったらどうなっていたんだろうか?
こうやって見るとよく上杉景勝が勝ったなぁと思う。
管理棟のテラスからは城山山頂が見えた。
12:37 斐太歴史の里 駐車場
管理棟から芝生の広場の道を下り、最後に丸太の階段を下りきると駐車場に到着。
12:52 神の宮温泉 かわら亭
朝から史跡巡りでかいた汗を「神の宮温泉 かわら亭」の温泉で流してから長野に戻る。かわら亭の日帰りの湯は800円と若干高めだが、館内も温泉も綺麗であり、露天風呂とミストサウナが超気持ち良くて大満足だった。
この後は長野市でレンタカーを返却し、駅前のホテルに宿泊。翌朝起きて天気予報が良ければ白馬に向かって唐松岳から五竜岳の縦走を行う予定だったが、晴れが明後日まで期待できないため、縦走は諦めて新幹線に乗って東京に戻った。
今年のGWは締めの唐松岳から五竜岳の縦走こそ出来なかったが、登山に史跡巡りと密度の濃い5日間で中々楽しい旅だった。