今年のGWに登った斎場山の登山記録です。
妻女山と聞いてピンとくる人は余程の歴史好きと思うが、妻女山は戦国時代に上杉謙信と武田信玄が争った川中島の戦いで、上杉軍が陣営を敷いた山です。
<登った山>
斎場山(513m)
<日程>
2009年5月5日(火)
<行程>
妻女山付近駐車スペース(13:34)→堂平(13:55※道迷い)→斎場山(14:01/14:09)→妻女山付近駐車スペース(14:20)
行動時間:46分(道迷い含む)
<ルート>
<登山記録>
[13:34 妻女山駐車場]
松代城址の見学を終え、妻女山に向けて国道403号を西に車を走らせる。さすがに2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」の影響か、長電屋代線の岩野駅手前で妻女山の方向を示す看板が現れ、ナビ要らずで非常に助かる。看板に従って左折し、上信越自動車道下のトンネルをくぐり、山道をジグザグに車を走らせると神社の鳥居が現れ展望台のある妻女山に到着。鳥居付近には既に車が数台停まっていて駐車スペースがないため、更に70m程上部にある砂利道の大きなスペースに車を止める。
妻女山から少し行った箇所にある砂利道の大きなスペース。林道は二手に分かれており、斎場山へは右の林道を登っていく。
[13:34 斎場山の情報を得る]
ここで来た道を少し戻れば妻女山の展望台なのだが、登山の影響か林道の入り口に設置された看板がふと目に留まる。看板を見てみると「展望台と招魂社のある場所は、戦国時代は赤坂山といい、本当の妻女山はもっと山奥の斎場山古墳のある場所です(私有地)。」などと書かれており、山+史跡の相乗効果で「こりゃー斎場山に行くしかない!」と一人で興奮してしまった。早速登ろうとするが、地図も何も無い状態で登るのはちょっと不安。携帯で斎場山の道の情報を検索すると、そんなに詳しくは書かれていないがどうやら今いる場所から20分程で簡単に行けるらしく、その情報を元に楽観視してサンダル履きでカメラと三脚のみ持って斎場山に向かう。
林道は車が通れる程の広さであり、実際に所有者の方と思われる軽トラが林道を登っていった。
[13:55 堂平]
「斎場山はどこだー!」と、襲いかかるブヨの大群を三脚で払いのけながらガツガツと登っていくと、堂平という天城山(てしろやま)と大塚古墳との分岐点で行き詰まる。携帯で調査したサイトには「20分程で山頂」と書いてあったのだが、既に登り始めてから20分が経過しているし、そもそも山頂らしき場所なんてどこにもなく、どうやら道を間違えたようだ。ブヨを払いのけながら再度携帯で調査を行い、そういえばこの分岐点の一つ前にもう一つ分岐点があった事を思い出し、道を戻る事にする。
[13:59 林道入り口から一つ目の分岐]
堂平を下り、一つ前の分岐点に戻ってきた。どうやら先程は「あんずの里ハイキングコース」の看板の矢印に騙されて堂平まで向かってしまったようだ。自分の勘に任せて看板の矢印と反対方向にある林道に進んで見る事にする。
看板の右奥に続く林道を進んでいく。
[14:01 斎場山の取り付き点]
分岐点を右に曲がって林道を歩いていくと、林道の右側が若干標高が高くなっており何か怪しい。右の斜面を怪しみながら歩いていると、人か動物が歩いたような跡があり、試しに登ってみると山頂標識が立っており、何とそこが斎場山だった。余計なお世話かもしれないが今後迷う人がいるかもしれないので、斎場山の取り付きに生えている低木に以前師匠から貰ったピンクのビニール紐を括り付けて山頂に向かう。
登山をしていなかったら気付かずに通り過ぎていたと思う、斎場山への取り付き点。
[14:01 斎場山]
斎場山の山頂には「斎場山・妻女山 上杉謙信陣営跡」と書かれた山頂標識が立っていたが、山頂は期待が外れて樹林に覆われていて余り展望は良くなかった。
斎場山のパノラマ写真を見る1 | 斎場山のパノラマ写真を見る2
樹林の合間から川中島方面の展望が望めた。
山頂にある木には「斎場山」の小さなプレートが釘で打ちつけられていた。
斎場山の山頂にはスミレがひっそりと咲いていた。
[14:20 林道入り口]
斎場山からは林道をただ下るだけなので、10分少々で林道入り口に到着。今度は妻女山の展望台に向かう。
林道入り口付近で野鳥を撮影。高山植物の名前も分からないが、野鳥の名前もよく分からない・・・。
[14:25 妻女山展望台]
妻女山は中々展望が良いにも関わらず、更に展望が用意されていた。さすがNHK大河ドラマ効果である。
妻女山のパノラマ写真を見る1 | 妻女山のパノラマ写真を見る2
妻女山展望台から長野市方面を望む。この視界上に数千数万の足軽や騎馬隊の軍勢が争っていたのだ。戦争はいけない事だが、歴史好きとしてはタイムスリップして見てみたい気もする。
斎場山の山頂で見た山名プレートがここにも貼られていてウケた。ちなみにそれよりもウケたのが、「現在地」と書いてある小さなプレートで、あくまでもこの展望台の地点は赤坂山だと言いたいらしい(笑)。「そんなんどうでもいいじゃん」と言ったらプレートを貼った人は怒るんだろうな(笑)。
武田軍の軍師である山本勘助は、夜間のうちに別働隊を上杉軍が陣営を構える妻女山の後方に向かわせ、上杉軍が妻女山を降りた際に、海津城(今の松代城)からの本隊と挟み撃ちにしようとする。しかし上杉軍はそれを事前に察知して既に妻女山を下っており、武田軍が裏をかかれてさあ大変というお話。
山も良いが、やっぱり歴史や史跡巡りも楽しいもんだ。今年は史跡巡りにハマりそうかも。